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人物

高木守道の現在の顔画像と若い頃や現役時代は?自宅や息子家族についても

野球

みなさん、こんにちは!Ayaboです。

2度に渡り中日ドラゴンズで監督を務めたジョイナスこと高木守道氏が、亡くなったとのニュースが入ってきました。

現役時代は中日の守備の名手として活躍し、”ミスタードラゴンズ”と呼ばれていた高木守道氏

1月12日には名古屋市のCBCラジオ『坂東サンデー』に出演していただけに、訃報には驚きの声があがっています。

死因は急性心不全でした。

今回は「高木守道の現在の顔画像と若い頃や現役時代は?自宅や息子・家族についても」と題しまして、高木守道氏の現在の顔画像と若い頃や現役時代についてや、自宅や息子・家族についても調べてみたいと思います。

早速、内容へ行ってみましょう!

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高木守道の現在の顔画像と若い頃や現役時代は?

1月12日に出演していたラジオ『坂東サンデー』のパーソナリティを務めているのは、現役時代をともにすごし親友の板東英二さんでした。

現役時代の思い出話に花を咲かせていたようで、お元気そうな様子だっただけに残念でなりません。

現在の顔画像はこちらになっています。

笑顔がとてもやさしく、温和な人柄がにじみ出ているようですね。

若い頃や現役時代の画像はこちらです。

1960年に中日ドラゴンズに入団し、1980年に引退するまで中日ドラゴンズの名二塁手として活躍した高木守道氏

まさに現役時代は『ミスタードラゴンズ』と呼ばれた選手であり、数々の記録を打ち立てています。

初打席初本塁打を記録した選手で通算200本塁打、通算2000安打を記録した初めての選手はこの高木守道氏であり、通算で200本塁打・200犠打を併せて記録した選手も高木守道氏でした。

またベストナインを二塁手として7回獲得しているのも、高木守道氏が史上最多となっています。

岐阜県出身の高木守道氏は県立岐阜商業高校の野球部に所属し、1954年の高校1年生の時には当時立教大学4年生だった長嶋茂雄氏のコーチを受けた際、その才能を見抜かれ長嶋茂雄氏が当時の監督にレギュラーとして使うように勧めます。

当時、遊撃手だった高木守道氏ですが、肩を痛め遊撃手から転向する際に二塁手を勧めたのも長嶋茂雄氏だったそうです。

その後、1994年10月8日には名古屋球場で行われた長嶋茂雄氏のとのいわゆる中日VS巨人の「10.8決戦」は、球史に残る名勝負を繰り広げています。

高校時代に長嶋茂雄氏に二塁手としての才能を見出された高木守道氏

同じプロ野球選手として長年戦う事になるとは、きっとお互い感慨深いものがあったでしょうね。

高木守道の自宅や息子・家族については?

高木守道氏は中日の監督時代には、2軍の試合にでている1軍の選手の様子が気になり、自宅のCS放送を見ながら指揮をとった事もあるそうです。

自宅の場所などについは詳しい情報は確認することができていませんが、名古屋近郊であることは間違いなさそうですよね。

高木守道氏の息子さんについては、以下の情報を確認することができました。

  • 愛知高校が甲子園に出場した際の野球部に所属していた
  • その後は中日新聞の取り扱い店に就職している

愛知高校が甲子園に出場したのは、春夏合わせて5回となっています。

選抜:1967年 1979年 1984年

夏:1952年 1994年

1994年に出場した際の野球部に所属していたと思われますので、現在44歳~42歳ぐらいかと思います。

家族についても新しい情報が確認でき次第追記していきますね。

ネットの反応は?

まとめ

今回は「高木守道の現在の顔画像と若い頃や現役時代は?自宅や息子・家族についても」と題しまして、高木守道氏の現在の顔画像と若い頃や現役時代についてや、自宅や息子・家族についても調べてみました。

監督時代は成績が低迷し厳しい立場に立たされていた時期もあった高木守道氏ですが、逆にあの時期に引き受けてくれたのは高木守道氏だったからこそといった声も多くあります。

そんな所もまさに”ミスタードラゴンズ”と言えるのではないでしょうか。

解説なども分かりやすく、柔和な笑顔の印象が強い方でした。

直前までラジオ番組でも元気な様子だっただけにとても残念です。

高木守道氏のご冥福をお祈りいたします。

今回はここまでとさせていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました!

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