みなさん、こんにちは!Ayaboです♪
バトミントンやテニスのラケットのブランドと言えば、YONEX(ヨネックス)ですよね!
私も学生時代の部活では大変お世話になっていました!
そのヨネックスの創始者である米山稔さんが2019年11月11日(月)に死去されていたことが分かりました。
【ヨネックス創業 米山稔氏死去】https://t.co/IRrq9UcFBE
スポーツ用品メーカーのヨネックス(東京都)の創業者で、同社ファウンダー名誉会長の米山稔(よねやま・みのる)さんが11日午前、老衰のため新潟県長岡市内の病院で死去した。95歳。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) November 16, 2019
死因は老衰でした。
葬儀は近親者だけですでに営まれたようです。
今回は「米山稔の妻や息子と家族や現在の顔画像と若い頃は?経歴やプロフィールも」と題しまして、米山稔さんの妻や家族についてや現在の顔画像と若い頃について、経歴やプロフィールについても調べて見たいと思います。
早速、内容に行ってみましょう。
米山稔の妻や息子と家族や現在の顔画像と若い頃は?
米山稔さんには息子の「米山勉」さんがいます。
あれ?
米山勉さんって‘つとむ ’さんじゃなかった?
べんじゃない気が https://t.co/HI5f06ERyp— いっちぃー (@PS_Nano900) May 21, 2015
試合前、柏ゴール裏にご挨拶に来てメガホンを手に取るYONEX:米山勉社長 pic.twitter.com/PtwMChgxlY
— ニコニコちゃん (@nicox2chan9) August 30, 2014
米山勉さんはヨネックスの3代目の社長を務め、現在はヨネックスの代表取締役会長となっています。
現在は専務だった林田草樹氏が社長を務めており、初めての創業者一族以外出身の社長です。
今回の米山稔さんの葬儀で喪主を務めたのは米山勉さんでした。
喪主は一般的には故人に最も近い人物が務めるのが慣習です。
妻がいる場合は通常、妻が務めますが今回は長男である米山勉さんが務めました。
この場合、米山稔さんの妻は離婚されているか、すでに亡くなっているか、もしくは病気などの事情で務められないかなどの理由が考えられます。
米山稔さんの妻については、結婚なども含め調べてみましたが、情報がほとんどありませんでした。
恐らくは一般人ですが、米山稔さんの著書『越後の雪だるま』(新潟日報事業社 刊)の中で、
なぜ、私が家庭を顧みず、一途に事業に傾注し、世界一の発展を目指し続けてきたのか。その原点、私を突き動かしていた激しい情熱の原動力を感じていただけたら幸いです。
と話していたように、現役時代はまさに仕事一筋といった方だったというのも影響しているのかもしれません。
大坂なおみ選手、全米オープンの優勝おめでとうございます。
ラケットはヨネックス製のものをお使いということで、『越後の雪だるま ヨネックス・創業者 米山稔物語』をご紹介(便乗しました)。情熱をもって事業を体現し続けた男の生き様を描きました。(河)https://t.co/WoO4txCjP1 pic.twitter.com/DpeYdwhtod— 新潟日報事業社の本 (@nnjbook) September 11, 2018
家族については、ヨネックスの2代目社長を務めた米山宏作氏が弟さんです。
この米山宏作さんはまさに、米山稔さんと共にヨネックスを世界的なスポーツ用品メーカーに育てた人物です。
米山宏作さんは現在はヨネックスの参与を務めているようです。
米山稔さんは6人兄弟の長男だったようで、宏作さん以外については名前なども分かっていません。
現在の顔画像はついてみてみましょう。
[新潟日報モア] ヨネックス創業者 米山稔氏が死去 https://t.co/UHuRyaOyVc pic.twitter.com/BHbuxpwDty
— 新潟日報モア (@niigata_nippo) November 16, 2019
こちらは2015年の米山稔賞表彰式のものです。
若い頃の画像を見てみると、このよな感じでした。
お優しそうな雰囲気は昔から変わっていないように見えますね。
米山稔の経歴やプロフィールは?
米山稔さんの経歴やプロフィールも見てみましょう!
名前:米山稔(よねやま みのる)
生年月日:1924年(2019年11月11日)
出身地:新潟県長岡市(旧:三島郡越路町)
貧しい下駄屋の長男として生まれた米山稔さんは塚野山高等小学校を卒業しています。
第二次世界大戦中には沖縄戦に従軍しており、捕虜収容所から帰還したあと家業の下駄作りを手伝っていました。
その後、鮭鱒漁業用の木製浮きの製造に乗り出し、従業員も10人ほど抱えるまでに成長させますが、時代は木製からプラスティック製に浮きに変わっており、注文は突如として途絶えて倒産の危機に瀕してしまいます。
浮きに変わる商品として、スポーツ用品に目をつけ、天候に左右されず一年中室内で楽しめるスポーツとしてバトミントンラケットの下請けとなります。
事業は急速に伸び、従業員は60人ほどにも増えますが親会社サンバタの倒産により、約3カ月分の売り上げが飛ぶこととなってしまいます。
その額はなんと今の価値で8億円!
またして倒産の危機となってしまいますが、銀行や知人にも悟られるワケに行かずバトミントンラケットの自社ブランド発売を思いつきメーカーへと舵を切ります。
「3年後日本一になる」と目標を掲げ、実際にその3年後には日本一のシェアを誇るメーカーに成長させたのは米山稔さんの「ピンチをチャンスに」との信念から成せたことだったのでしょう。
☆*゚+.一本のラケット!.。:;☆
今や世界のヨネックスとなったヨネヤマラケット時代の原点ともいえるOPS構造のアルミ製ラケット。もちろん新潟工場で作られたメイド・イン・ジャパンだ。創業者である米山稔氏の魂が込められた逸品である。 pic.twitter.com/slAIRpwTzi— リバティクロス・阿部輝夫 (@libertycross) November 14, 2015
現在はヨネックスの商品はバトミントンやテニスのラケットのみならず、ゴルフ用品やスノーボード、ウォーキングシューズ、ランニングシューズやロードバイクと多岐にわたっています。
ヨネックスの創業者
米山稔さん死去、95歳この方がいなかったら僕はバドミントンをしていなかったのかな。
ご冥福をお祈り申し上げます。https://t.co/kgJ19MQ1If— Takenori.W (@WTakenori) November 16, 2019
ネット上ではヨネックスのラケットがあの時勝利に導いてくれたなどの声が多数挙がっており、米山稔さんへ感謝の思いを乗せている方も沢山いました。
まとめ
今回は「米山稔の妻や息子と家族や現在の顔画像と若い頃は?経歴やプロフィールも」と題しまして、米山稔さんの妻や家族についてや現在の顔画像と若い頃について、経歴やプロフィールについて
特にバトミントンやテニスの愛好家にとっては、ヨネックスは世界的に高いシェアを誇る絶対的なブランドですよね。
そのヨネックスの創業者の米山稔さんの死去のニュースは、お世話になった身としては悲しいです。
今回はここまでとさせていただきます。
最期まで読んでいただきありがとうございました。